「論理」という形
こんにちは、かえるさんです。今回は「論理」を考えてみます。
論理か、なんでも論理的に説明しろ、って言われるよね。
ものごとを整理して考えるのは言いたいことを伝えるために効率がいいですからね。当然のことと言えます。
論理的に説明するって、具体的にはどういうことなんだろう?
すごくカンタンに言えば、AがBだからCである。っていう形式のことですよ。あとはその組み合わせですね。
AがBだからCである
ってこと?
例えば、
北海道は、緯度が高いから寒い。
北海道がAで、Bが、緯度が高い、だから結果はCの、寒い、ってことだね。
そうだよね、北海道は寒い。そして食べ物が美味しい。
でも、もっと緯度が高いイギリスは北海道ほど寒くないですよ。
え!そうなの?!じゃあ、北海道は、緯度が高いから寒い。は間違いなの?
海流の影響があるんです、北ヨーロッパは暖かいメキシコ湾流の影響があるので、イギリスは北海道より暖かいんです。
あー、そうなんだ、じゃあ、さっきの北海道は、緯度が高いから寒い。は間違いなの?
でも学校で、緯度が高いと寒いって習いませんでした?
そうだよね、緯度が高いと、太陽からの受熱量が減るから寒いんだ。
そうですね、太陽エネルギーを受ける量が違うんですよね。
あれ?だったら、北海道は、緯度が高いから寒い。は、おかしくは無いのかな?
そもそも、何と比べて寒いか述べてないんですよね。ただ、寒いって。極端なこと言えば、もっと寒い所はいくらでもありますからね。
あーそうだわ!そこか!気付かなかった。
でも、少し言いかえれば、北海道は、緯度が高いから、東京より寒い。だったら、問題は受熱量だな、って判りますよね。
もっとリアルに考えましょう。「北海道は、緯度が高いから寒い。」が東京に住んでいる人達の日常会話だったら、
ぜんぜんおかしくないや、そうだよね、って終わる、まあ、イギリスの海流の話にはならないよね。まあ、地学が好きな人は別として。
イギリスの海流の話になったとしても、「北海道は、緯度が高いから寒い。」と言うワードを論理的に考えれば、問題点が探しやすいですよね。
あー、北海道が寒い理由を、緯度が高い、って言っているのと同じだから、
何と比べて?ってなる。
寒さ、要するに気温は、太陽からの受熱量以外の要素もあるよ、
って問題点を探しやすいね。
そうです、だから、AがBだからCですよ、って基本形を覚えておくと論点が判りやすいですよね。
だから、論理的に話せ、って言われるのか。なっとくだ。
論理はカンペキなのか
論理で考えるとカンペキなのかな?
もちろんそんなわけありません、欠点もあります。
AがBだからC
と言うAに対するBの説明が、事実である、ないに関わらず、Cと言う結論を絶対に保障するわけではない、と言うことです。
え!そうなの?
さっきは、北海道が寒いという、経験的、知識的にも納得しやすい話題でしたけど、形だけで言えば、
北海道は、緯度が高いから暑い。
という言葉も、論理的には問題ないわけです。
え!あるでしょ?緯度が高いから暑い、はおかしいよ。
でも、それは知識や経験から来る意見であって論理的形式には問題ないわけです。
まあ、事実としては違和感があるでしょう。
ハッキリ言って、AがBだからCである。と言う形式では、どうやってもCが絶対に正しい、と証明することは不可能なんです。
結局「論理」は検証しやすい形、というだけなんです。
でも、
日本は地下に大きな、なまずが棲んでいるから地震が多い。
あー、結果は正しいけど、理由が間違っているね。地震は多い、でも大きななまずのせいじゃない。
そうなんです。
確かに検証するにはいい方法だな。
そうですよね、でも一つ落とし穴があるんです。
「論理」落とし穴
良くないところがあるってことか。
そうです、意味も判らず信じてしまう人が結構います。
デタラメでも、それっぽく聞こえてしまう部分がありますから。
理由も説明するからか。Aと言う野菜はBと言う成分が豊富だから、カンタンに痩せる!なんてかたちだと信じやすいな。意味は判らなくても。希望的観測も手伝ってる。
そうなんです、理由→結果と言う形なので、理由を付けない場合より説得力が増すんですよね。
自覚していないと、自分で自分を騙してしまうこともあります。
どういうこと?
自分の考えを疑うことが出来なくなると、自分の意見が通らないことを受け入れられなくなってしまうことが起こります。
例えば?
失恋した人が、自分の何が悪かったんだ、悪い所を言ってくれれば直す!と言うのもそうですよね。
そういう問題じゃないよね、もう終わってるって。
普通そうですよね、でも、嫌いなった理由を言わせて、それを直すって、論理的には理解できるじゃないですか。
そうだね、でも自己中心的だよね。そういう所が嫌いなんだって。
でも、この論法だと、嫌いになった理由が無いのに嫌いになったのか!って責めることが出来るでしょ。責めても仕方ないと思うけど。
で、理由を言ったら、それは直します、って言うわけですから。
理屈としてはおかしくは無いのか。
そうでしょ。そう考えると、論理的であっても現実にはそぐわないこともたくさんあります。第三者から見ればストーカーチックでも本人は筋が通っていると思ってたりします。
確かに、怖いね。
しかし、論理的に考えると、検証しやすい、と言うのを思い出しますと、そもそも一回嫌いになったものを、行動を修正することで元に戻せるのか?って疑問が作れますよね。
あー、そうか、カンペキだと思って止めるからダメなんだ、納得行くまで問題点を洗うにはやっぱり論理的であることは有効なんだ。
この話で言いたいのは、論理と言う道具の使い方を考えてもらいたい、と言うことです。
「論理」の星座と言えば「四要素」の「風」の星座、ふたご座、てんびん座、みずがめ座です。
ご自分で、ご自分の考え方が「論理」的だから、正しい、と思っている場合、さまざまな問題が発生します、「論理」的であること、すなわち正しい訳ではない、と言うことを頭に置いておくと良いでしょう。
あれ?自分の論理おかしくないか?と言う立ち止まりが出来ないと勘違いしやすいだけになりかねません。
そして、それ以外の星座の方々には、逆に、論理的にものごとを考えることで始めて議論をすることが可能になります、あまりに非論理的な主張は、理由を説明することなく自己主張をしていることと同じなので理解されなくて当たり前だ、と言うことも頭の片隅に置いておくと良いでしょう。説得力が弱いと言うことです。
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