0「愚者」
- 全ての源を表そうとすると「言葉」になる
- 言葉は全てを伝えられる可能性があるが、ごくカンタンなことでも伝わらないこともある
- ねじ曲げることも出来る、誤解もある、思いもよらぬ変化もある
- 1度切り離して言葉にしたことは元に戻らない
こんにちは、かえるさんです。今回は「四要素」の「風」をタロットと生命の樹を通して考えます。
「愚者」のカードは、その人が、おバカさんって意味じゃなくて、判っていない人が「その場」に居る、それが多数派な場合も、少数派な場合もある、ってことだね。
そういう意味もあります。例えば、挑戦者がいて、それに対する批判者がいる。挑戦者が成功した時は、批判者は、挑戦者や状況を理解出来ていなかったと言えます。
批判する多数派が「愚者」なことも有りえるんだよね。
しかし、批判者の批判も的外れだったとは言い切れない。見るべき部分もあったかもしれないよね。メリットが上回っただけのことで。
そうですね、同じことでも言い方を変えると双方が「愚者」とも言えます。
え!何で?
では今回はそのお話からしましょう。
「愚者」を考える
少数の挑戦者と多数の批判派がいて、挑戦者が成功したとしても、それは永遠のことではありません。
そりゃ、そうだけどさ。
「成功者」に姿を変えた「挑戦者」もいつ「愚者」になるか判りません。
まあね。そりゃ、そうだけどさ。
何故そんなことが起こるかと言えば「成功者」が「愚者」では無い、と言う考え方だからです。
「挑戦者」が「成功者」になった理由が必ずしも「挑戦者」が主張した理由とは言い切れないし、「批判者」達の意見も、これから姿を現すかもしれません。
それを言ったらキリが無いんじゃない?
そうかもしれません、しかし間違っていますか?大きな成果を上げたものを「成功者」と決め付けようとする態度が生んだひずみとは言えませんか?
うむー。
責めるつもりは無いのです、ただ、「挑戦者」も「批判者」も「成功者」も、どちらにしろ「見えているものしか見えていない」と言う事実を思い起こせれば良いのです。
いかなる時も「愚者」と言う呼び名から逃れることは出来ない、と言うことか。
そうです、それは、自らを「愚者」である、と思える余裕を持て、と言う意味でもあります。
では、何が見えているのか?を考えることが、このカードの生命の樹での位置を物語ります。次はそのお話を致しましょう。
「愚者」の生命の樹の位置
「愚者」は「1」と「2」の間の赤線の部分です。
すごい高い位置だね!
「1」は理解出来ないほど根源的な部分、イメージを言葉にすると「種子」ですね。
で「愚者」を通過して「2」にいたる、「2」は惑星に対応せず「十二星座」と対応しています。
そして「2」は、全ての「棍棒」のカードとも対応しています。
アレもコレもで、難しいな、「棍棒」は「火」のスモールカードだね。「2」は直感の「火」と強く対応しているんだ。
そうです、ここが大切で、「直感」のような形の定まらないもの、しかし「直感」が生まれる為には、それに必要な情報がある、と言うことです。
それが「2」の「十二星座」です。分かれているけど、明確に偏ってない、しかし分かれているので「直感」が生まれています。
そこから、モノの見方、偏り、である「各星座」に分かれていくのです。
即ちそれが「見えているものしか、見えない」の「見えるもの」を限定します。人は認識出来るものしか見えませんから。
それが星座なんだ!
そうです。何も無いに等しい「1」から、12に分割され、まとまった「2」になる過程、それが「愚者」ですから、
1つのものが12個に分割される過程だ!
そうです、だから、何も判らないのです「愚者」なのです。そしてそれは「言葉」、即ち「風」で表されます。
「言葉」
今までの話は「言葉」の特性も説明しています。
と、言うと?
言葉には「愚者」の側面が必ずあるということです。
???
もやもやしたものを「言葉」と言う形にするには、視野を限定し、ある一方面しか説明できない、と言うことです。
え、でも「机」は「机」じゃん。完璧じゃん。
小さな「机」に座って、大きなイスに食器を置いて食事したら?
え!?
つ、つくえ、って定義なんだっけ?
モノを乗せる台、読み書きや作業などをする台、なんて書いてあったりしますね。
じゃ、じゃあ、座ったらイスかな?
じゃあ、その「机」の上で書類をまとめましょうかね。でもイスでしたっけ?
もう!よく判らないよ!!
「言葉」にはお互いの了解も必要なんですよ。そして完璧な定義は不可能なんです。
だから憲法や法律でさえ、判例や運用実績が大切で、解釈を変えることは良くない、と法律の学校でも教えています。解釈を変えることで運用を変えるのなら、法律は無いのと同じです。
解釈を変えることはいくらでも出来るんだね。でも、法律みたいにキチンと書いてある文章でも出来るの?
「言葉」の示す範囲を、設定しなおせば、かなり意味を捻じ曲げることはカンタンですよ。
言葉は自由すぎると役に立たない、それは共通した認識が必要だからなんだね。言葉についてそんなに考えたこと無かったわ。
言葉の欠点を認識して、誤解を前提にすることで、かえってスムーズなコミュニケーションが可能になります。
どうして?
誤解されると怒る人は多いでしょ。
納得した。怒る前に定義が違うってことを考えるんだ。
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