こんにちは、かえるさんです。今回は「占いは統計学なのか」と言うお話です。
占いは統計学だ、ってよく聞くね。
そうですね、しかし、実際には「統計学」自体が何であるのか「統計学」自体にもさまざまな評価があることを忘れてはいけません。
統計学は統計学でしょ?
統計学は、数字データから、何らかの関連性や結論を導く学問です。
そうだね、なんか問題あるかな?
わずかな差でも、表やグラフの書き方でイメージは意図的に変えられますし、主張したい答えを導くためのデータを集めると言うやり方もあります。
あー、そう言う話も良く聞くね。
今回はそんなお話です。
統計学を考える
例えば「メタボリックシンドロームの人たちにアンケートをとったら、週に複数回コンビニエンスストアを利用していたことが判った」と聞いてどう思いますか?
忙しくって買い物に割く時間が無いのがいけないのかな、って思った。あとコンビニは糖分や脂が多い美味しいものがたくさん売っているからかな。
でも、メタボリックシンドロームじゃない人も同じ割合でコンビニを使っているかもしれませんよ。
あ!ずるーい!!
でも、そうか、コンビ二に対するマイナスイメージを作りたくって、考えた話なのかもしれないのか。
テレビ局のアンケートだって「憲法9条」の話題のあとに「憲法改正は必要か」と言うアンケートを発表したとします。「いいえ」と答えた人の割合は、どういう意味を持ちますか?
軍隊を他国に派遣しやすくなることを恐れた人たち、とか、戦争反対の人たちの割合かな。
でも、憲法改正にもいろいろありますから、私学助成金、道州制導入や、選挙の一票の格差問題は憲法違反なためですから、憲法を、全ての都道府県から国会議員が選ばれる、と変えれば、全ての都道府県から国会議員が誕生して良いわけです。
そういう憲法9条とは別の問題もあるのか。それらも含まれるんだ。
政策についてのアンケートのほとんどは内容を理解していない人が多数ですから、質問のしかたによって、答えは変わります、ですから国民の意見と言うより、そのテレビ局の意見、と言う言い方も出来ます。
数字のデータがウソじゃなくても、内容はいくらでも作れるんだね。
しかし、その反面、スポーツのデータはどうでしょう?
例えば野球の打率、ホームラン数、打点、防御率とかか、ゲームを楽しむのに必要だよね!!
そうですよね。もちろん投手が勝利数を稼ぐために、弱いチームとばかり対戦することはありえますが、ウソではありませんし、データを見た人を誤誘導することが目的とは言えませんね。
そうだね、絶対あった方が楽しいと思う。
数字のデータ、と言うものは、適した題材とそうではない題材があるということですね。
統計学の始まり
統計は古代の時代から人口調査などが行われていたので、とても昔からあります。
へー!そうなんだ。
だから、占いはそう言う膨大なデータに基づいて組み上げられた知識の蓄積だ、と言うような文章を良く見かけます。
占いは統計学って言うよね。
でも、そのデータから性格や、人生全体、幸福感、人生の成功、不成功をどうやって分類したんでしょう。
難しいよねぇ。、収入とか寿命はある程度記録できるだろうけど。
ですよね、ですから、その「膨大なデータ」から直接「占い」が出来た、とは考えにくいですよね。
だから実際は「膨大なデータ」、「仮説」、「検証(データの取捨)」のループによって磨き上げられたものだと思うんですよね。
これを長い時代にわたって行うので「やさしい」とか「きびしい」とかの評価もある程度平均化されて、それっぽいデータになる。
とは言え「やさしい」とか「きびしい」の感覚は個人差があるのは間違いないですよね。
そこで「~~な感じの優しさ」などを表現するために、神話やタロットのイラストを使ったりするわけです。直接単語で言うよりエピソードや絵の方が細かいイメージが伝わるんで、
要するに多くの人間が生きている中で感じた感覚と記憶を利用して、情報を認識させると言うことです。
要した方が余計に難しいよ。
例えば、無差別に暴力的なのと他者の権利を守るために暴力を使うのは違いますね。
例えば警察や軍隊か、なるほど。そういった背景も説明することで意味が深まるのか。ストーリーだと判りやすい、実感できるね。
それらのデータを一気にファイリングできるシステムが「生命の樹」です。「失望」「失敗」「悲しみ」などの似たような言葉の意味を、様々な背景を含み、明確に言語で分離出来るシステムです、それらと対応したタロットカードはたった78枚で、あらゆる状況を説明出来ます。
こう考えると集合知と言った方が適切だと思いますよ。
あーなるほど、そうだね。
それに現代の統計学は、どこで、いつ、誰が、どういう方法で、集めたデータと言うことが判らないような怪しいデータは使いませんよ。
どうやって集めたか判らないデータなんですから、占いはやっぱりオカルトですよね。
だから、信じるより、占いで出て来た性格に関するデータに納得した場合、その性格のデータを行動計画に組み込む、と言う方法が適切だと思います。
占いは信じちゃいけないのか。
まあ、信じる、と言う行為にメリットが無いわけではありませんから、かえるさん個人としては、そこは話題にいたしません。
人は自分と無関係なことでも、自分の行為や努力のおかげで、上手く行ったと感じることの出来る生き物なんです、ポジティブイリュージョンって言うんですが、普通の人にはそう言う傾向があり、うつ傾向の人にはその要素が少ないんです。
え、例えば?
例えば、テレビゲームなどで、一切コントロール出来ないキャラクターがいたとします。しかしボタンを連打したり、レバーをガチャガチャやると、何となくそのキャラクターが思った通りに動いた気がしたり、何もしないよりキャラクターが強くなって頑張って敵を倒した気がする、と思う人が多いらしいです。
本当は関係ないんだ。
機械的につながっていませんから。
でも、自分が手伝えた気になるんだ。
まあ、そう言うことです。これは、多くの人が自分は運転が上手い方だ、と思うことなどもそうです。みんなが上手い方だ、と言うことは全体的にはありえませんね。ですから、世の中に不満を覚える人が多いんです。
事実じゃなくても、自分は頑張っているし、能力もあるのに認められない!って思うからか。
でも、そう信じた方が幸せでしょ。
「占い」は数学や計算を使うから論理的なのか
「西洋占星術」は数学や計算を使うから論理的、と言うのも問題があります。
間違いではないの?
ギリギリですよね「論理的」と言うのは表現方法であって、正しいか正しくないかは別問題ですから。
簡単に言えば、AはBだからCである。のような形にはまっていれば論理的ではあります。しかし、AはBだから、Cである、のCが保障されるとは限りません。多くの人が納得すれば、どうやら正しいようだ、と言うだけのことです。
だから「西洋占星術は、数学や計算を使うから論理的である」と言う言葉には実は全く説得力はありません。しかし、一般的にはなんとなく「正しい」と主張しているように聞こえてしまうこともあると思います。
なんとなくね。
「太陽」が「~~座」に入っている時に生まれたから「~~」な性格だ。
これは形は論理的ですが「何で?」の一言に対し適切な説明が出来ません。
まあ、そうだけど。
その星の角度や位置の測定、確定にどんな数学や理論を使おうが、最後は論理的に説明することで、むしろここがおかしい、何で?という部分が明確になるのみです。
こんなこと言って大丈夫なの!!??
もちろんです、言わなくても判っていることですから。
しかし、この、あやふやな集合知的な方法で性格分析をすると、かなりの的中率であることは確かです。
だから、疑っていただいて構いませんが、性格の説明に納得していただければ、様々な問題について、こう考えるから、こう見えてしまうので、こうなってしまう、と状況を説明し、具体的な対策を作ることは出来ます。
大切なのは、なぜ性格が判るのかは、我々占い師でも判らないのに「論理的」だから正しい、とか「数学」を使っているから正しい、と言う詭弁を弄することは、むしろ知的な層から軽蔑されてしまう原因になっています。
実際に実用的なんだから、ウソなんかつく必要ない、と思うんですよね。
じゃあ、占いは統計学でもないし、論理的に正しいわけでもない、しかし、性格分析には実績があるから、自分の過去と占いの鑑定が一致すれば、今後の計画にも使える、と言うことだね。
そういうことです。使う時にはそう言う視点があって良いと思います。
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