こんにちは、かえるさんです。今回は「真の自分を求めて」と言うお話です。
お、なんかめずらしい話題だね。
「真の自分」と言うものを求める気持ちから、「心」と言う「モノを感じるシステム」を考えたいと思います。
あ、やっぱりそう言う感じか。
「真の自分」は探さないのね。
そんなもんは探しません。
今回はそんなお話です。
真の自分、本当の自分
当然、そんなものは定義のしようは無いわけですが、
その時に、わき上がってくる欲求が「本物」「真の自分」と思いたい、要するに何のガマンもしないで、思い通りにやったら、実は上手くいくんじゃないか、と言う希望的観測を後押ししてくれるイメージがあるので、商業的には大変人気のある考え方です。
現実には、その人の抑圧された欲求、なんてことは他の人には全く意味が無いので、上手くいくことは上手く行くし、上手く行かないことは上手く行きません。
良く、本当にやりたいことはやるべきだ、挑戦するべきだ、って言うよね。
やりたければ、やれば良いですが、キチンとやらなきゃ上手く行くわけ無いですよ。挫折と行き詰まりを打破する覚悟と知力と持続力があれば上手くいくでしょうが、本当にやりたいこと、なんて理由で上手く行くほど現実は簡単じゃありません。
まあ、全く挑戦しなければ、絶対成功しないですけど、したってムダな人はしなくてもだいたい判るでしょ。
あーあ、言っちゃった。
ま、そんなことは、置いておいて、抑圧された欲求、がなんで「真の自分」と感じられるか、を考えましょう。
「とにかく強く、そう思う」と言うことは、いかにも内面からわき上がって来ていると感じるな。
一見複雑な何かがあるようですが、ホロスコープ的に考えれば、当たり前の簡単な話です。
こういうことです。
1人の人の中にたくさん惑星や、ASCやMCのようなポイントがあり、星座がたくさんあります。
例えば、ASC、MC、太陽(星占いの星座)などを日頃使って生活していて「月」の星座が、それらと合わず使えていなかったとしたら、「月」の星座が、不満や良くない形で表面化します。
「月」の星座は無意識や、その人にとって意識しにくいほどの当たり前、を示すんだよね。影響も強い、とされているのに出にくいこともあるの?
例えば、「太陽」が水瓶座で、水瓶座の「変化」を望む気持ちのまま生きていたとします。
そして「月」が世間様に恥ずかしくないように、きちんとしたいとにかく「結果」の山羊座だとします。
矛盾しているね。
そうです、そうなった時、仕事がイヤだと思うたび転職していれば、このまま年をとってしまう、と不安に思いながら生きることになります。
「本当はきちんとしたいのに」って思うでしょうね。
きちんとすれば良いじゃないさ。
会社を辞めるとき、自由のため、こんな所にいても仕方がない、などと思って辞めるわけですから、それをガマンするには、かなりのガマン強さが必要ですよ。
まあ、判ってはいても脳が慣れた生き方は楽なもんです。不平不満をいくら言っても、慣れたように生きるから占いは当たるんです。
それを、自分はここが弱いからこそ、乗り切ってやる、と言うのが占いの役立て方ですから、脳の習慣を変える、ってことですよ。
病気になって、医者にダメだと言われても好きなものを食べ続ける人に限って「やぶ医者」だ!、とか言うでしょ。完全に逆ギレで「やぶ患者」は、どんな名医にも治せません、意思が弱い人はそんなものでしょ。
だから「きちんとした自分」をいつまでも体験できないけど、出来ないからこそ頭から離れなくなるんですね。考える時間が長くなれば「重要と感じます」
実際問題、結局、長時間、頭にあるが実現出来ないので「本当の意味」で自分らしく生きることが正しい、などと、思ったままにガマンせずに生きて、かつ正しい選択がある、と言う突飛な発想が出て来ます。
だから、自分らしく生きる、とか、思っていれば、いつか実現する、叶わない願いは無い、なんて言葉に惹かれる人は多いですね。もう現実は放棄した、ってことなんですけど、逆に考えると面白いのは、そこまでして人は努力を避けようとするって、ことなんです。
まあ、確かに、脳の習慣は恐ろしいね。
そうなると、この例では、山羊座的なことはもう考えなきゃいいのに、と思いますが、山羊座を使ってないから余計に山羊座の声が大きくなる、で、不安が増す、だから余計に言い訳も増えていく。
この単なる、バランスを取ろうとする働きが「心」を感じさせているんだと思うんですね。
逆に言うと「本当の自分」「真の自分」を探している途中だ、と思えれば、必要な努力はしなくても、している気にはなれる。
そう言うことですね。実際は、不満があっても仕方ない、と会社を辞めなければ良いだけの話ですが、結局、自分で辞めているんですよね。
でも自分のせいだと思いたくない。
面白いのは、その時の被害者は絶対に自分なんですよね、ですから言い訳をする意味がないのに、真剣に言い訳をするんです。
この「将来の被害」と「今の瞬間の自分の気持ち」これが矛盾すると、状況が複雑化して決定が余計に難しくなる。
だから、次々と色んな思いや言葉がわきあがってくるから、心を感じられるのか。
そう言う考え方も出来ますね。
星座の作る欲求
まあ、早い話が、星座自体は、その人の人生がどうとか、こうとかは関係なく、星座から欲求がわき上がって来るイメージなんですね。
どの星座の考え方も、シーンによっては大いに役立つ習慣、考え方ですよ。
しかし「今」と断定した場合、どれが最善かは判らない。
何となくは判っても「今」ではない将来の為に、努力を払うことはナカナカ難しい。脳が慣れた行動を正当化することに努めるのが楽だからです。
子供の頃の夏休みの宿題のようだ。やらなきゃいけないけど、休みはまだある、みたいな。
そして最後の1日になって、宿題を放棄しちゃおう、と言うのが「本当の自分」「真の自分」ですね。
頑張らない技術か、やっぱり良くないのかな?
いや、別に本人がよければ、良いんじゃないですか。でも、そう言う思想の人は、そう言う思想を広めようとするでしょ。
たしかに。
それは、人間が「実感」するには、自分だけではなく、他者に共感してもらうことが一番だからです。
十二星座の最初の「牡羊座」は自分のやりたいことをする星座で、次の「牡牛座」は自分の感覚を楽しむ星座です。
そうだね。
その「牡牛座」は、自分の味わった感動を「伝えたい」と言う習性があります。
あー、「実感」するには、他者が必要なんだ、他者が同じ反応をしてくれると確信しやすいんだ。
逆に言うと全く根拠がなくても、みんなでしていれば、そんな気がしてくるものです。人間は集団で生活してきた動物ですからね。
こういう「情報の蓄積」が「心」を生むと言えますね。自分の認識と、周囲の認識と、現実との状況認識のバランスをとろうとする働きですね。
そう言えば「感情」は「情報の蓄積」って言ってたね、こう言うことか。
単に状況を認識して、過去のデータと照らし合わせる、ことで欲求が生まれ、それを実行するか、しないかで葛藤が生まれるのか。
その葛藤が、映像や言葉等で再生されます、その集合が「心」と言えます。
その様子をお互いに観察して実感できれば「自分」と言う存在のあやふやさをクリアできますからね。
「自分」はあやふや?
結局、人は原子の塊ですからね。しかし「原子の塊」と言う認識で現状を説明することが出来ても、非論理的にそれを拒否するのも、人間らしい、「心」っぽくて味があるとも言えますね。
「心」は料理のよう
食材を組み合わせて料理はできます。例えばカレーなら、様々な食材の組み合わせですが、それをみんなカレーと呼ぶので、カレーであることは特に疑う必要がありません。
カレーの実体は食材の集まりだけど、条件が揃えばカレーと言えるね、それは共通認識だからこそ成立する事実だ。
その点で「心」も同じですね、過去の記憶を今の状況と照合して、頭に、よぎる言葉、映像、感覚、などを総称して「心」と言えるわけです。
これは、AIで「心」を作る上でも重要なことです。観察者と被観察者が同時にその逆でもある状態で、疑うべき所が無く「確実」と確信する共通項が得られた、と言う感覚を得ることが無意識に行われることが最低限必要だ、と言うことです。
人間の脳の複雑さからすれば同程度のものを作るのは当分難しそうですが、しかし、観察者側が勝手に自分の記憶で調節してくれる機能があることも考えれば、実は近いものを作るのは、そんなに遠い将来じゃ無いかもしれませんね。
観察者が調節する?
相手の文法や単語が間違っていても、察して理解することが出来ますでしょ、むしろそう言う行為が、かえって相手を自然なキャラクターに感じさせるのです。
あー、言葉の正確な弁護士さんより、文法のいい加減な友人のほうが人間らしいって思うな。
相手の存在認識に自分が関わっている方が実感がわくんですよ。
うーむ、難しいな。
「難しい」と言う理由で思考のストップするのは自然で違和感がないですね、では今回はこんな所にしておきましょう。
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