こんにちは、かえるさんです。今回は「大アルカナ」の「愚者」です。
「愚者」は、最初のカードだね。
そうですね、ほとんどのタロットで最初のカードになっています、タロットによっては、最後から2番目とか、最後とか、いろいろです。
そうなんだ。
最初、という言葉自体、むずかしいです、最初と言うと、つながりが断絶されてしまうからです。無から生まれたようなイメージが必要になるでしょ。
でも「最初」が気になるよ。
それを「ヘブライレター」で表そうとして、最初のカードに「アレフ(牛)」を使うのです。
「牛」は最初なの?
「牛」は最初です。様々な神話などでも「牛」から世界が生まれたりする話など重要なイメージで描かれます。
例えば「牡牛座」が自分の感覚そのものとも言えますから、それが無くては「世界」を感じられませんから。「快、不快」「陰陽」の開始とも言えます。
しかし、牡羊座無くしては、その基礎情報が獲得できません、このイメージがあえて言えば「最初」のイメージですが、どこかのポイントを「最初」と言うことが出来ないことが判って頂けたら幸いです。
ゲームソフトを買ってから、ファミコンを買った感じかな。
まあ、そんな感じかもしれませんね。
全然判らないことが判った。難しいのが判った。
まあ、とにかく「アレフ(牛)」の「愚者」は最初のカードってことだ。
では、今回は「大アルカナ」のお話です☆彡
「0 愚者」
「愚者」は「0」「ヘブライレター」は「アレフ(牛)」の「風」のエレメントのカードです。
最初のカードが「四要素」の「風」って、どういうことなの?
「風」のエレメントは「言葉」も扱います、しかし「愚者」は「冥王星的無意識」を「海王星」に運ぶイメージです。
言葉になる前の言葉、ってこと?
あえて言えば、判るけど、なんて言って良いか判らないイメージです。
えー!!例えば?
「何となく」です。
あー「何となく」か。
その「何となく」が「最初」にふさわしいの?
そうです、人は「モノがあっても認識出来なければ無いのと変わりません」「愚者」は「無意識では判っているけど意識出来ない」状態のイメージです。
だから「何となく」が「始まり」なのか。これから始まる感じ。
そういうことです。
「アレフ(牛)」は?
アレフ(牛)
「自分(肉体:牡牛的)」と言う意味で全ての始まりと言えます。
「何となく」なのに?
「何となく」は、外界を認識出来てなくても間違いなく「自分」がいるでしょ。
なるほど。
「アレフ(牛)」すなわち「牡牛座的素直さ」であれば「愚者」と出会える、とも言えます。
この「無意識的自分」の「愚者」から「意識的自分」の「魔術師」に話は移行していくわけです。
「大アルカナ」のイメージはつながっているんだね。
ストーリーになっているのです。
「21 愚者」
「21番!?」の「愚者」?
19世紀の魔術師エリファス・レヴィのタロット配列です。
じゃあ、最後のカードなの?
いや「0」が無いので最後から2番目です。
そして「ヘブライレター」は「シン(歯)」です。
シン(歯)
「シン(歯)」って、「永劫(最後の審判)」の「ヘブライレター」だよね。
そうです。「男性は虎に噛まれている」と書かれています。
痛そうだ。
あ!その「シン(歯)」なのか!!
何で噛まれてるの?
「虎」は「能動性」と言えます、その「能動性」に食べられる、と言うことは一体化すると言えます。
「男は身を守る術を知らない」とも書いてあります。
どういうこと?
「愚者」は「能動性」と一体化することを避けられない、と言うことですね。
じゃあ、「アレフ(牛)」じゃなくて「シン(歯)」でもいいじゃん。
どっちが正しいんだろう?って考えてしまいますよね、しかし「綺麗」も「美しい」も同じ対象の評価として問題ないですよね。
なるほど。
「象徴的」な表現だと言語以上にたくさんの意味を込められるので全てのことを占えるタロットには適した表現方法と言えましょう。
ただ、エリファス・レヴィの説明に「シン(歯)」は「全ての人の墓からの命」とも書いてあります。
「最後の審判(永劫)」じゃん!!
でも、生まれ変わったばかりのような素直さ、と考えれば「愚者」にも当てはまります。
エリファス・レヴィは知ってて書いたの?
魔術師の文章ですから、そんなことはどうでもいいんです、単なる自覚ですから。
どうでも良くないでしょ。
どうでもいいんです、ただ、しっかり文章を研究すれば彼が知らないことにもたどり着けます。
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