こんにちは、かえるさんです、今回は『「艮為山」「円盤の王女」王女と宮廷牌と易』と言うお話です。
今回は「艮為山(ごんいさん)」、「円盤の王女」ですから、地球上の「ヨーロッパ・アフリカ大陸」と対応します。
なんだか広いね。
「四要素」でいう「地」ですから、いわゆる「物質」や「感覚」のようなもの、我々が「現実」と感じる他者との共有度の高いエレメントです、それは即ち「自分の気持ちが薄まりやすい世界」とも言えます。
情熱があって「頑張りたい」と思っても始めてみると、すぐに諦めちゃう感じかな。
いわゆる「普通の人」ですね。
「ヨーロッパ」的な様々気候や、余り後先考えない場当たり的な政策など「地」的ですよね。
「ヨーロッパ」ってそうなの?
「ヨーロッパ」と言えば植民地政策や、現在も続く中東の紛争は明らかにイギリスとフランスが原因ですし、すぐに極端な政策を行って修正する感じは「物質中心主義」的ですね。アレコレ言うけど意外と先のことは考えてないんですよね。
最近のエネルギー政策の失敗も、それみたことか、って感じをぬぐえません。
「産業革命」もヨーロッパ的ですね、しかし徹底できずアメリカに抜かれてしまう感じも、徹底した「理想」にも向かえず、かといって弱い所があれば遠慮なく攻めて搾取する、そして行き過ぎると急に反省した感じになる、など「地」っぽいでしょ、感覚的。
そして、熱いアフリカは「人類発祥の地」です、その情熱から、行動に発展する感じなど「地」の原因っぽいでしょ。
人類の発祥と、未開の地のイメージとヨーロッパの物質主義の組み合わせが「地」のイメージなんだ。
まあ、ちょっとした一例ですけどね。
「王女」はウェイト版とかだと「従者」「ペイジ」だね。
卦辞は「艮其背不獲其身 行其庭 不見其人无咎」そのせにとどまりそのみをえず にわにゆきて そのひとをみずとがなし。
??? 全く判らないけども。
「その背に留まり」は自分の無意識を感じています。そして「庭」は自分の世界、現実世界、物質世界から離れた自分の気持ちの世界です、自分を振り返ることが出来ます。
「庭」は「無意識」的であり「心の待機場所」でもあります。
要するに「その背に留まり」「その身を得ず」要するに自分の身体から離れた感じですね、座禅や瞑想も感じます。「艮為山」は「山」の上に「山」ですからね。(「艮」が二つ重なっている。)
そして「庭」で、自分にも、他者にも捕らわれない、だから「その人を見ず」に「咎无」なのです。
ゆっくり深く考える感じかな。
それは、外から見れば、動かないようにも見えますし、綜卦の「震為雷(しんいらい)」の閃き、の生まれる場所でもあります。
「震為雷」は「棍棒の騎士(棍棒の王)」と対応するね。
では今回は『「艮為山」「円盤の王女」王女と宮廷牌と易』というお話です。
艮為山下卦
「初爻」は「艮其趾 无咎 利永貞」そのあしにとどまる えいていによろし。
「初爻」は比してませんし、応じていません、そして「陽位」に「陰」で位、不正です。
メチャクチャダメなんじゃない?
「初爻」が比せず、応じず、「不正」は「円盤(金貨)の4」と対応した「坤為地(こんいち)」と同じです。
そうか、つながっていないからこそ、自分の気持ちが判ったり、強さが培われる面もあるのか。でも「永貞によろし」って、ずっと動かなくていいの?
慌てるな、納得するまで考えろ、感じろ、ってことです。
「艮為山」は上下の「八卦」が同じだから、全く応じてないんだね。
「二爻」は「艮其腓 不拯其隨 其心不快」そのひにとどまる そのしたがうをすくわず そのこころここちよからず。
「二爻」は応じず、「初爻」には比していませんが「三爻」に比じ、「陰位」に「陰」で位正しいです。そして「中」を得ているので、良いバランスを保とうとする働きがあります。
「二爻」は深く考え上の「三爻」につながっているのですが、弱く何もすることが出来ません、それを不愉快だ、と言っています。
しかし、今は自分のことを深く考える時期であり、それで仕方がないわけです。
「三爻」は「艮其限 列其夤 厲熏心」そのげんにとどまる そのいんをさく あやうくしてこころをいぶす。
「夤」は「夤(つつしみおそ)れる」と読みます。
つつしみおそ!って読むの?!
「三爻」は「陽位」に「陽」で位正しく、「二爻」「四爻」と比しています。
しかし、「艮為山」はすぐに動く卦ではありません、ですから、留まることが正しいのですが、気持ちは動きたいイメージなのです。
つながっているからこそ、何かをしたいんだね。
艮為山上卦
「四爻」は「艮其身 无咎」そのみにとどまる とがなし。
「四爻」は「陰位」に「陰」で位正しく、下の「三爻」に比していますが、「五爻」には比していません。
結局自分の中に収める感じかな。
他人のことより、自分を良く考えないといけません、それは「何でも他人のせいにするような気持ち」も咎めています。
あ、だから「その身に留めれば」「咎無し」なのか。
自分に向かい合うって難しいね。
「五爻」は「艮其輔 言有序 悔亡」そのほにとどまる いうことじょあり くいほろぶ。
「ほ」?
「輔(ほ)」は頬と口の周りの皮膚のことです。
要するに言いたいことがあっても留めることで「悔い亡ぶ」ということです。
どういうこと?
くだらないことを言うな、ってことです。
なるほど。
「五爻」はまず「中」を得ていて重要な「尊位」です。
「尊位」って何が尊いの?
偉いイメージなんですよね、一般的に言うと、結果が出るところ、と言えますね。精神的には「上爻」の次への切り替え、無意識的働きの方が重要な気もしますけどね、まあ、重要なんて言葉は好みですからね。
「陽位」に「陰」ですから、位、不正で「四爻」に比していませんが「上爻」には比しています。
そうか、「動かない」「艮為山」としては切り替えの「上爻」は重要だね。
その意味で「五爻」で、考えてから喋る、ということが「悔いを事前に消してくれること」を良く感じておくことが大切です。
「上爻」は「敦艮 吉」とどまるにあつし きち。
お!結局、動かないんか。
慌てないことです、動くために動いては結局同じです、自分に向かい合う、本当にやりたいことを知る、そのための時だったのです。
慌てることは、また同じ道、いつもの道ですよ。やらされているから、結局イヤになるのです。
それで、とどまるに敦(あつし)なのか。
「上爻」は「五爻」に比していますが、「陰位」に「陽」で何かしたい気持ちが強まっていますが、「五爻」の余計なこと言うな、は自分に対する「早くしなくちゃ」を抑える意味もあります。
そして「五十二番」の「艮為山」の次は「五十三番」の「風山漸(ふうざんぜん)」です。
おお、じっくり慌てない代表みたいな卦だ、「円盤の王子」と対応するね。
そうか、「艮為山」のすぐ動けない「王女」や「従者」のイメージは、じっくり内省していたんだね。
「王女」を考える時は、なぜすぐに動けないのか、を良く考える必要があります。ただ、未熟、動けない、幼い、ではストーリーが上手く組み立てられないですからね。
「ケルト十字」や「生命の樹」のような10枚のスプレッドなら、絶対全部のカードのつじつまが合うストーリーを組み立てないと占いになりません。これが出来ない人は占いが当たったり、外れたり、という感じになってしまいます。
なるほどね。
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