こんにちは、かえるさんです、今回は「竹取物語 お話で象徴を考える占いのお話」と言うお話です。
前回は「御門」が「かぐや姫」の家に来て「かぐや姫」と出会ったところで終わったんだね。
そうです、「月」の住人である「かぐや姫」には「御門」であっても簡単に会うことは出来ないのです、即ちそれは「ホロスコープ」の「月」のことを言っているのです。
そういう意味では「5人の人たちの失敗」から「御門」が苦労して「かぐや姫」と会った、というイメージは「一人の人間の努力、頑張りの比喩」とも言えます。
物語としては「かぐや姫」という「月」に対してみんなで求めてるイメージが、一人の人間が「月」を追いかけているイメージ、ってこと?
そうです、何度も失敗しながら「かぐや姫」に近づいていくイメージで物語は進んでいます。
要するに「一般の人達」はすぐに諦めてしまったけど「裕福な人たち5人」は簡単に諦めなかった、そしてついに「御門」が動く、っていうストーリー展開自体が「成長」物語とも言えるのか。
そういうことです。その意味では「竹取の翁」も、一生懸命「竹取」をしていたからこそ「月」要するに「かぐや姫」に会うことが出来たのです。
そんな「竹取の翁」でも「かぐや姫」は自由にならないんだね。
では今回は「竹取物語 お話で象徴を考える占いのお話」です。
「かぐや姫」
「御門」がせっかく会った「かぐや姫」を連れ帰ろうとすると「かぐや姫」はそれを拒否します。
出来るんだ。
「かぐや姫」は「自分はこの国の生まれのものではないから、連れてはいけない」と「御門」に告げます。
それでも「御門」はそんなことがあるかと「かぐや姫」を輿に連れて行こうとすると「かぐや姫」は雅やかな姿が一変し、真っ黒い影になってしまいました。その様子を見て「御門」も連れていくのを諦め、元に戻るように言うと、「かぐや姫」は元に戻りました。
何が起こったのよ?
これも、「月」的ですよね、「月」をごまかしたりすることは何人も出来ないのです。
「御門」は、それでも「かぐや姫」を忘れることが出来ず、今まで素晴らしいと思っていた女性も美しく感じなくなってしまうほど「かぐや姫」への思いが募っていきました。
「月」だから、忘れようとしても忘れられないのか。
そんな風に思う中「御門」は何度も「かぐや姫」に詩を送ってきました、そして「かぐや姫」もその返信をする、という具合に三年の月日が流れました。
象徴的意味
最後は「かぐや姫」は「月」に帰っちゃうんだよね。
そうです。
それはどういうことなの?
逆に言うと「みんなが努力したからかぐや姫は罪を償って月に帰れた」という言い方も出来ます。
「罪」?
「無意識の世界」で「何かをしたい」と思ったことが「罪」です、もう実行しないと頭に残り続けますからね。
じゃあ、「かぐや姫」も「アダムとイブ」も同じなのか。
「アダムとイブ」は「蛇」要するに「欲望」に騙された、という言い方になっています、「実行しないといけない」=「償わないといけない」ということで「罪」という言い方も出来ます。
そういう意味で「御門」が様々な努力によって「月」である「かぐや姫」と仲良くなる感じ、歌のやり取りまで進む感じまで来ました、それで「月」に帰れる、ということなのです。
え、でも帰っちゃうんでしょ?
「月の世界」無意識でもっと「冥王星」に近い、「月」に近い「目標」を見つけたら、また降りてくるわけです。
繰り返しなのか、ゴールが無いんだね。
しかし「月」「かぐや姫」は本当に美しく、追いかける価値があります、他のことがどうでもよくなるほど価値のあるものなのです、それが「月」なのだ、ということです。
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